2011/03/16

だから僕は歌をうたう

静かな、静かな夜だ。
風の音だけがきこえる。
災害のあとの夜は、こんなにも静かなものなのだろうか。

今日の浦安は風が強い。
日中、液状化で流れ出した土砂が乾いて空に舞い、街は白く澱んでいた。

いまもなお、余震は続く。
予断は許さない。
恐怖に苛まれながら、それでも、みんな励まし合いやっている。



僕は今、浦安の家に独りでいる。
相変わらず水は出ないし、ガスも出ない。下水道の回復も未定だが、近所のスーパーをのぞいたら、そこそこ食べ物はあった。物流が回復してきた兆しだろうか。特に困ることもない。トイレくらいか。

午前中はマンションの敷地内の土砂掻きをした。
午後は風が強くて中止になったので、家で待機しながら、ときおりマンションの敷地内を歩いた。

懐かしい顔にいくつも会った。
僕は浦安を長く離れていたから、近所のひとに会うとまずは近況を報告することになる。
しかし、僕の場合、近況とは言っても、話すとどうにも長くなるので、まあ元気です、ということになる。

みんな明るく元気だ。
どこの誰それは何をしているとか、僕じつは新婚なんですよ、あらそうなの?おめでとう、なんて言って笑いあった。

落ち込んでる暇などない。
そんな暇があったら、水を汲みに行き、土砂を掻くのだ。



陽が落ちて、ふと落ち着くと、することがなくなった。
無性に、ギターが弾きたくなった。
声を出したくなった。

気持ち的には、もうものすごく長いこと、音楽をしていない。

はやる気持ちを抑えながら、ケースからギターを出し、チューニングもせぬままに、ポロンとひとつ、つま弾いた。

ギターの音が誰もいない部屋に気持ちよく響いた。

合わせて、声を出した。
あまりの気持ちよさに身体が震えた。


そのまま、うたった。
曲とも呼べないただのうたは、そのまま、僕の今の感傷だ。

遠く離れたひとが、僕を想ってくれていることを思い出し、涙が溢れ出た。



僕は、僕がなにをしたかったのか、思い出した。

少しずつ、自分にできることを始めよう。

だから僕は歌をうたう。

2011/03/15

僕は無事だし元気なので、

しかしまあ、なんですなあ、三年のツアーを終えて、久しぶりに実家の浦安へ、と思ったら、その日にこの事態。七時間遅れで東京に着いて、深夜、辛うじて動いていた東西線も東陽町までしか動かなくて、家財道具一式とギター担いで、歩いて浦安向かったあの夜道はまさしくギャグですな。いろんな方から無事ですかメールをいただいてありがたいです。今は逐一返信できませんが、僕は無事です。

20日の長野ネオンホールライブ、長野は無事だそうですから、行くつもりでいますが、交通事情次第になります。19日に長野にはいるつもりでいます。当日電車が動いていれば。長野の皆さん、またここで連絡します。









昨日、浦安から、義弟の親類のいる東京は大井町に避難してきた。


浦安からたいして離れていないのに、この日常感はなんなんだ、とビックリした。モノは確かに少ないようだが、全体的にノンビリだ。


義弟の実家で、今後のことを話し合って、妹一家は当面の間は大井町にいることになった。ここなら当面は安全だろう。


なので、体が空いた僕は、もう一度、浦安に戻ろうと思う。昨日、避難してくる際、泥かきを手伝えなくて悔しい思いをした。20年以上住んだ街だし、愛着もある。


現場にいた方が、こっちの家族にも正確な情報を伝えられるし、困っているひとを助けることもできる。


というわけで、東京で水などの物資を詰めるだけ詰めて、浦安に向かいます。


ブログは、また浦安から更新します。

2011/03/14

浦安避難生活三日目

今日、初めて、TVで東北地方の悲惨さをみた。それに比べると明らかに地味だが、浦安の埋め立て地区(中町、新町)の状況もよくない。


ライフライン、電気は通っているが、ガスは相変わらず不通。上水道は17日に全て復旧するとの広報があった。ただし、その根拠は、市の調査の結果、水道管の破損が100箇所近くであり、今日一日で20箇所修復したので、あと4日で終わるだろう、というような大雑把ものなので、確実かどうかはわからない。


水は配給でまかなっている。避難所は給水所にもなっていて、大概が長蛇の列だ。


食糧、今日は隣町の市川のスーパーにいったが、目ぼしいものは既にほとんどなかった。もちろん水は一切ない。お菓子と酒は残っている。この現象は物流が回復しない限り広がっていくだろう。しかしその目処も立っていないようだ。そのスーパーでも、流通に制限があるといっていた。


不確かな情報だが、ガソリンもそこをつきたらしい。



なにより一番の懸念は、大きな余震だ。


今、浦安の埋め立て地区の地盤は液状化現象でるゆるゆるになっている。


今日、避難所で知り合った方の家は一メートルもずれたそうだ。地震の直後、目の前の道路が隆起して、泥が間欠泉のように湧き出て溜まり、渦を巻いていたとのこと。

他にも、埋め立て地区の至る所で道が割れてマンホールが突き出たり、セブンイレブンが斜めに陥没したりと、目立った被害も多いらしい。

「浦安 液状化」で調べれば画像もあるだろう。


市の職員の方に確認したところ、液状化現象の現状把握は行っているものの、大きな余震があった場合の被害の予想と調査はしていないとのことだ。そこまで手が回らないのだろう。


とにかく、もう一度大きな余震が来たら、家が無事立っている保証はどこにもない。
浦安の埋め立て地区にいる人たちは、大余震の予測が解除されるまで、浦安を離れたほうがいい。あと二、三日といっているのだし。


僕たち(妹、義弟、双子の姪、甥)も明日、都内の親類のところに避難することにした。

2011/03/12

浦安と杉山の今

姪っ子たちと甥っ子が横になって、ようやくひと息…


今日、買い出しのために浦安の埋め立て地区をざっくり車で走ったけど、液状化現象が思ったより酷くて、道路は泥だらけ、陥没や隆起が方々で起きている。

泥が乾いて車が粉塵を巻き上げて、空気が悪い。

スーパーでは、店外にまでレジ待ちの長蛇の列。もちろん店内には目ぼしいものはほとんど残っていない。

塀の倒れかかった家も多数ある。

都内から戻った義弟の話では、都内にライフラインの被害はなく、比較的平穏だそうだ。もっとも道路は車で埋め尽くされていて、ほとんど機能していないらしい。

僕らのいる富岡は、ガスと水道が止まっている。とにかく近辺で「 一番安全なところ」ということで、富岡小学校に設けられた避難所にいる。水の備蓄と食糧の備蓄が多少あり、市の職員さんも詰めてくれていている。僕らの他には一家族、空いていて、さみしい気もするが、みんな家でまんじりと過ごしているのだろう。電気があるのが幸いだ。

いま一番の気がかりは、流通がいつ戻るか。あと三日もしたら、食料がなくなってくる家庭もあるだろう。そのときにまだ流通が復旧しなければ、ちょっとしたパニックになると思う。

浦安は東京のすぐ隣だからといって安心は出来ない。地震の当日、ぼくはたまたま京都からの高速バスで東京に向かっていた。新宿駅から東京駅まで、いつもなら20分ちょっとのところが七時間かかった。車道は車で埋め尽くされていて、バスは全く動かなかった。都内の道路がまだあの状態なら、この先もあまり明るい状況ではない。

これは浦安だけのことではないだろう。確認出来ないのでわからないが。

とりあえず、明日、もう一日様子をみる。


そんな状況だが、腐っていても深刻になり過ぎても仕方がないので、われわれは至って元気だ。さっきは姪の凛(もうじき四歳)がワンワン泣いていたが、怖いからでなく、浮かれ過ぎているので叱ったからだ。いまは、さっき叱られたことも忘れて、寝ながら「おひなさま」のうたを歌っている。が、歌詞が大分違うので笑いをさそっている。今日は一緒にたくさんの歌を歌った。

TVはみていない。僕たちには不必要な情報が多そうだ。見てしまえば深刻になりすぎるだろう。今はまだ、明るく過ごしていた方がよい。情報は、webとtwitterで得ている。が、twitterは少々錯綜気味なので、半々な感じで眺めている。

2011/03/11

東海道、昼道中

本日は朝から長距離バスに乗り関東に移動、約八時間。


今までたくさんの昼行長距離バス乗ったけど、この路線は閉塞感強い。運ばれてる感と言ってもいい。混んでるのに、異様に静かだから? 他の都市間のバスはこんなに混んでないもんなあ。


まあ、そんなシンとしたバスの中でうたた寝ていたら、さっき、自分の寝言で目が覚めました。「よ、ようちえんっ」とか言うた気がします。




気を取り直してブログでも、と。


風まかせツアーの最中でもそうだったけど、昼行の長距離バスにはよく乗りました。移り行く景色を見ながらぼーっとする時間は、来し方行く末に思いを馳せる大切な時間。

悪くない時間です。


そう言えば、京都にお住まいの皆さんは、昨日のNHK見てくれましたか?感想知りたいのでコメントください。今後の活動の参考にします。




友人宅にて、テレビを見てるところ。



今回関東に向かっているのは、新作制作のため。がっつりプリプロつくります。新作は今までのまとめ的な位置づけの作品で、賑やかな曲が多くなりそう…楽しみにしていてつか~さい。

六月には出したい。



てなわけで、また。

2011/03/10

NHK京都「京いちにち」出演してきました

かつて一度だけテレビには出たことがあったけど、きちんと出演するのは今回が初めて。


じつは、旅先で、「武蔵野のテポドン」を名乗る台風のようなおばちゃんに、「あなたはテレビ出ちゃだめよ.テレビ向きじゃない」なんて言われたことを思い出しつつも、丸太町智恵光院にあるNHKのスタジオへ。


今回の話、「京いちにち」のメインキャスターである吉田一貴さんが、風博士をみつけて出演を打診してくれたのがことの始まり。最初はお断りしたけど、熱心に誘ってくださるので、出演しました。ありがたいことです。



で、NHKに着くなり、軽く打ち合わせして、スタジオ入り。
はじめてのテレビの現場、その雰囲気に心がもそっと動く。




サウンドチェック、カメリハをやっていよいよ本番、そのときの緊張感ったら、実に気が引き締まってよい。



 こんなかんじでいこうかな。




それともこんな感じかな。






いやいや、ちゃんとやってきたよ。

スタジオ内は、ものすごく演奏しにくいんじゃないかという思い込みがあったんだけど、実際やってみると素晴らしく集中できる音環境をつくってくださっていました。まさにプロの仕事。気持ちよく、集中して演奏しましたよ。



最後は、みんなで撮影。


じつに楽しいひとときでした。

ありがとうございました。



【追記】
今回の風博士は、 写真手前左から、

徳本昌哉(コントラバス from 水瓶
永田充(ダラブッカ blog
宮田あずみ(ピアノ from 薄花葉っぱ
杉山拓(ボーカル&ギター)

でした。

新・月にムラッとくるも

風博士のNEW BLOG『新・月にムラッとくるも』です。
これからもよろしくお願いします。