2013/08/22

【風博士四国ライブ】愛媛松山→香川三豊→徳島→高知梶ヶ森

こちらは、お盆が過ぎて、風が変わり、だいぶ過ごしやすくなりました。
みなさんのお住まいではいかがですか。

夏休みもそろそろ終わり、の雰囲気ですね。
その郷愁感たるや、胸がはちきれんばかりであります。
ヒグラシの鳴き声がより一層その淡い感情を掻き立てます。
ただ単に歳を取った、ということでもありましょう。

そんな季節の終わりにオセンチな風博士は、今週末から四国小ツアーに出かけます。




まずは、愛媛松山、椿神社近くの素敵なカフェ、サロンドエミュさんです。
エミュさんでのライブはもうかれこれ4回目くらいになりますが、今回は久しぶりのライブ。これまで全国さまざまな場所で歌いましたが、エミュさんの音環境の良さは全国屈指です!本当に響きがよい!もちろん生歌でお送りしますよ。お待ちしています。

2013年8月25日(日)

【会場】松山 Salon de Emu http://www.emu-patisserie.com/
【開演】17:00
【料金】2,000円(ドリンク&スイーツ付き)
【ご予約・お問い合わせ】
Salon de Emu
TEL 089-989-2126
愛媛県松山市北土居町4-27-13
営業時間 8:30~20:00(日曜営業)
定休日 水曜日、第2.4木曜日





お次は、香川県三豊市のレイジーボーン。
イベントを企画してくれた西原夫妻の、相変わらず素敵なチラシです。
風、ゆ。
そう、レイジーボーンでは森ゆにさんと共演です!!
うれしいね!
一緒の演奏も何曲か予定しています。

2013年8月30日(金)

【会場】レイジーボーン http://lazyboness.exblog.jp/
【開場】19:00
【開演】19:30
【料金】2,500円(別途1ドリンクオーダー)

【ご予約・お問い合わせ】

sumico.kgw@gmail.com/090-3503-7709(ニシハラ)
件名:8月30日ライブ予約
内容:お名前フルネーム/お電話番号/人数
折り返し予約確定メールをお送りします。
または、0875-83-5023(Lazybones)まで。





そして、翌日31日、8月最後の日は、徳島のutanotaneさんにてうたいます。
こちらも本当に素敵なチラシです。
晩夏にふさわしい、カバーも何曲かしようと思っています。

2013年8月31日(土)
utanotane
http://utanotane-shop.com/

開演 19:00
料金 投げ銭制

お問い合わせ
utanotane
徳島県徳島市末広4丁目8-32
OPEN 12:00 - 18:00 頃
CLOSE 不定休
TEL&FAX 088-678-6097
MAIL info@utanotane-shop.com






翌9月1日は、高知県梶の森キャンプ場で行われるカジロックフェスティバルに出演します。珍しく、フェスですね。

カジロックフェスティバル
http://www.kajirock.com/

13時過ぎからの出番です。
この日は、風博士はサポートに森ゆにさんと、田辺玄を加えて三人バージョンでお贈りします!楽しみ!!





そして、9月7日には、山口県の徳佐で歌います。

徳佐近辺は、先日の水害に多く見舞われてしまった地域です。
主催は、おんなたちの古民家さん。
会場は、もちろん古民家、旧山見邸田楽庵。
こちらの古民家は、現在再生中の古民家です。
おんなたちの古民家のブログから、再生の様子がご覧になれます。



2013/08/18

もうそろそろじゃから、覚悟しときなさいよ

蒸し暑く、蝉の時雨れるお盆の只中、妻の祖父が静かに息を引き取った。
94歳の、大往生であった。


亡くなる日の夕方、おじいちゃん危篤の報せを受けて、涼子と環太と僕の三人でおじいちゃんに会いに行った。その日に体調が悪くなっていたおじいちゃんは、老後施設から救急病院に移っていた。

僕たちが病室に入ると、おじいちゃんは独り寝ていた。
やせ細り、管に繋がれたおじいちゃんに、生気はほとんど感じられなかった。
寝息だけが、ひっそりと病室に響いていた。
空気を肌で感じたのか、いつもは五月蝿い環太もおとしくしている。

涼子が静かにおじいちゃんに手をかけた。
反応がないようだった。

「すごく、冷たい」と彼女は言った。





大正生まれの気骨の人であった。

僕が初めておじいちゃんにあったのは、マイホームツアーのときだから2011年か。ツアーの道中でちょうど山口県を通るので、ご挨拶に伺ったのだった。環太はまだ涼子のお腹の中だった。

どこの馬の骨とも分からぬ収入も安定しない旅芸人の僕を、孫の旦那として歓迎してくれた。印象深かったのは、今いる施設の長老として、日夜大岡裁きに明け暮れているという笑い話であった。

当時92歳であったが、皆から頼られるほどしっかりとしておられる人だった。


その後、環太が生まれ、住む場所を探していた僕たちに、「今は誰も住んでいないから」と家を貸してくれた。近くなった分、おじいちゃんに幾度か会いに行くことができた。

おじいちゃんはいつ行ってもたいてい元気であり、今度スポーツジムに通うだとか、車を買おうと思っちょる、とか、本気かどうかも分からぬことを言って、僕たちを驚かせた。

なかでもびっくりしたのが、今年の二月に環太を連れておじいちゃんに会いに行ったら、環太ちゃんの誕生日じゃろう、とお心を付けてくれたことだ。

90歳を越えて、たくさんいる曾孫の誕生日をいちいち覚えているなど、僕には考えられなかった。おそらく、日頃からそういったことに気をつけて、努力しておられたのだと思う。すごい人だ。





そんなことを思い起こしていたら、おじいちゃんがゆっくりと目を開けた。
涼子はちょうど、帰り支度をしているところだった。

「涼子、おじいちゃん、目を覚ましたよ」

涼子がおじいちゃんに近寄って、「おじいちゃん、涼子です」と呼びかけた。
おじいちゃんも「涼子ちゃんか?」と応えている。
僕は環太を抱いて、その様子を見守っていた。

身体はまるで動かず、はっきりと話すこともできないが、おじいちゃんの意識ははっきりしているようだ。

喉が渇いた様子だったので、涼子が水差しをおじいちゃんの口元にやると、「自分でやるから」といって涼子の手から取った。

環太をおじいちゃんの目の前に持って行ったら「お〜環太ちゃん」とはっきりと分かっているご様子。

そして、涼子が「おじいちゃん、明日の朝、果物かなにか持ってこようか?何か食べたいものある?」と聴いたら、「果物は病院がうるさいから、ゼリーにしてくれ」だって。

こんなになってもすごい人だなあ、と思っていたら、にやっとしながら、「もうそろそろじゃから、覚悟しときなさいよ」と言い放った。

その日の夜、本当に、ゆっくりと、息を引き取られたのだった。








素晴らしい幕引きだった。
身体が動かなくなっても、明瞭な意識を持ち、己の死を見据え、それを受け入れたのだろう。そのことを、きちんと、伝えてくれた。

僕は、深く感動した。
血のつながりはないが、誇りに感じるくらいだ。

大正生まれの、気骨の人であった。
94歳の、大往生であった。
すごいひとであった。