2014/05/17

電王戦は対コンピュータ、ではない。

将棋が好きである。

指すのはヘボだが、小さい頃からテレビ対局を観るのが好きだし、なにより将棋界の悲喜交々の人間模様が面白い。

そんな棋界ファンにとって、ここ数年の春の話題といえば、電王戦である。

電王戦とは、人間対コンピュータという図式で行われる将棋の大会のことで、将棋連盟も公認の、れっきとした公式戦のひとつである。去年と今年は団体戦であった。人間側で出場するのはプロ棋士であり、今年はなんと九段が二人も出場した。プロの九段といえば、もうそれは、とんでもなく、凄まじく、馬鹿みたいに、将棋の強い人たちの中での最高段位であるから、その強さは筆舌に尽くし難い。

そんな凄まじく強いプロ棋士たちが出場しているにも関わらず、2014年の電王戦は(も)、1勝4敗と人間側の完敗であった。しかし、これを持ってコンピュータが人間を越えた、とするのはちょっと違う。

電王戦は人間対コンピュータと銘打ってはあるが、厳密に言えば、そうではない。ここでいうコンピュータとは将棋プログラムのことで、これは当たり前だが人間が作っているものだ。プログラムを知らないひとには分かりにくいかもしれないが、プログラムというのは、書かれた命令以外のことはしない。そしてそれを設計し、書くのは人間であり、当然、プログラム自体にも書く人たちの個性が色濃く反映される。

渡辺明二冠がブログで、「COM-COMを見ていて強いと感じることはあまりないんですが(プロレベルで)、電王戦のように人間-COMを見ると強いな、と思う」と書いている。このことは、電王戦に出てくるような将棋プログラムは、対プロ棋士を前提に設計し、実装されているということを意味しているのではないだろうか。もちろんプロ棋士に勝つようなプログラムは誰でも書けるわけではないし、並大抵の努力やセンスでは到底つくれないものだからすごいことなのである。

なので、今年の電王戦の成績が、人間側の一勝四敗で完敗だったとしても、そのまま人間よりコンピュータの方が優秀だ、というふうになるわけではない。そもそもコンピュータはその出現時から人間より優秀なのであって、今更なんである。人間側の完敗が証明するのは、それだけ優秀な将棋プログラムを作った人たちがいる、ということだ。つまりそこにも別の人間模様があるのである。

それにしても今後、将棋プログラムとプロ棋士の中でもトップ中のトップ、すなわち将棋界最高峰のタイトルホルダーとの対決が、この先あるだろうか。たぶん、実現はないだろう。それくらい、将棋プログラムの進化は顕著だ。あと数年で、将棋プログラムに勝てるプロ棋士はいなくなる。しかし、仮にそうなったところで、将棋界がつまらなくなるわけではない。プロ棋士のすごさが貶められるわけでも全くないのだ。


ちなみに将棋の世界の面白さを教えてくれたのは団鬼六である。
ぎりぎりの勝負の世界で生きている人たちというのは独特の美しさがある。

以下はおすすめの本。

団鬼六『真剣師小池重明』

いきなり将棋界というよりはアウトローな賭け将棋の世界の話しだが、「新宿の殺し屋」とまで言われた伝説の真剣師、小池重明の伝記。読んでいて、どうしようもない男だが憎めないのは将棋が桁外れに強いからなのか、団鬼六の筆力が素晴らしいからか。とにかく理屈抜きに面白い。

団鬼六はアクが強いので、興味のある方にはこちらもおすすめします。

大崎善生『将棋の子』
 


【関連リンク】
将棋電王戦公式サイト
http://ex.nicovideo.jp/denou/

渡辺明二冠のブログ
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira

今回の記事とは関係ないが、羽生善治三冠のインタビューがなかなか面白い。お子さんのいる方は読んでみてください。
http://diamond.jp/articles/-/52738