2015/04/03

だってあの娘が好きって言ったんだもの

桜井さんのことを知ったのはもうずいぶん前のことで、15年以上前だと思うから、まだ音楽をやっていない頃のことだ。

当時一緒に住んでいた友人のひとりが長野にあるネオンホールに足繁く通っており、彼女から聴かせてもらったTheEndのテープが最初なのか、それとも別のルームメイトがやっていたバンドがときどきネオンホールに歌いに行っておりその縁で知ったのかはっきりしないが、とにかく、朴訥としているがカントリーブルースへの深い理解と愛情を感じる楽曲とユニークでスパイスの効いた歌詞、そしてそれを絞り出すような歌声に、他にはない存在感と面白さを感じ入って、惚れたのだった。

そのうち僕も歌うようになって、ツアーにも出るようになり、ネオンホールでも歌わせてもらうようになった。そのころには桜井さんとも知己を得ていて、それなりに親しくしてもらった。

ネオンホールで歌わせてもらう度に、桜井さんに共演をお願いしたけれど、なかなか一緒にやってくれない。桜井さんだし、まあ、そうなるだろうと思っていたのでその後もしつこく、それこそ長野に行く度に声をかけ続けたら5回目くらいでようやく共演してくれたりした。

その断られ続けている間にも桜井さんとは会っていて、蕎麦を食べに連れて行ってもらったり、仕事中の桜井さんの昼休憩を共に過ごしたりした。勝手にTheEndファミリーの中の兄貴分として自分を位置づけていた。

結婚した直後、僕たちは長野に仮住まいをしていた。長野に住む=TheEndのライブが見れる!と思ったのだが桜井さんはあまりライブしないし、長野滞在中には結局一回しかライブを見れなかった。しかし一度でも観れてよかった。TheEndのステージには謎の感動があって、僕はさんざん笑ったりひとり突っ込んだりした後に、膝を正して涙する。

そんなTheEndのトリビュートアルバムに参加させていただいた。大変に光栄なことです。勝手なイメージだけど、このトリビュートアルバムのこと、桜井さんはまだ知らないんじゃないだろうか。