2018/12/23

2018年を総括し、2019年を想像する

音楽活動を中心に、2018年を簡単に振り返って、2019年を展望してみようと思う。

5月、四国八十八箇所霊場の第七十六番札所、香川県金倉寺の1200年祭に参加した。
このイベントを記念して、「子育て」をテーマに『こゑ紡ぐ』というコンピレーションアルバムが発売され、その記念のライブイベントでもあった。
僕は、イギリス出張時に工場を歩きながらつくった『Family Tree』という曲で参加している。

7月、鹿児島2DAYSを企画し出かけたが、九州豪雨と重なってしまい、とんでもない思いをした。
ライブ前日に岩美町を出て、会場には遅くとも15時には着く予定であったが、豪雨の影響で通行止めと迂回を余儀なくされ、進めど進めど、カフカの城よろしく目的地にたどり着けないのであった。結局鹿児島に着いたのは深夜の2時過ぎたころであった。
初日のライブはやむなく中止になったが、2日目は美山の「夏の庭」にて歌う。吉田耕平君と再会。いやはや、すごいひとだと感心した。

9月、自然から糧を得てまのいい暮らしを目指す「まのいいりょうしプロジェクト」を立ち上げ、その一環として、「まのいいりょうしと風の歌」というイベントを始めた。
自分で狩猟して得たシカやイノシシの肉でつくったカレーを振舞って、狩猟や暮らしにまつわるお話をして、さらには歌うというイベントだ。
京都を皮切りに、大山(鳥取)、仁保(山口)、室積(山口)、熊本、鹿児島、長野、安曇野(安曇野)、三豊(香川)と計9箇所で開催した。
手探り状態から始まったイベントであったが、各地の皆様に助けられ、好評につき2019年も積極的に開催することになった。

12月8日、岩美町のCafeニジノキで、A.C.ジョビンの命日にライブ。
せっかくであるので、ボサノヴァを聞き始めて早四半世紀、自分なりに感じてきたボサノヴァを披露することに。ジョビンを中心にしたボサノヴァの歴史を語りながら歌った。



そして2019年。

去年から引き続き「まのいいりょうしと風の歌」を開催し、さらには、Cafeニジノキでの定期フリーライブということをしてみようと思っている。

「まのいいりょうしと風の歌」は3月に関東、4月に室積(山口)、5月に北海道で開催予定。山には毎日入ることになるだろう。そして、Cafeニジノキでのフリーライブは、3月、6月、9月、12月と定期的に行う予定。一回目は3月16日の予定。

それ以外にも、ライブ演奏の予定がポツポツはいっています。4月には岡山、6月には京都。
録音にも手をつけたい。もっともこちらは、現在絶賛準備中の新居の改装が段落つき次第。どうなることやら。

相も変わらずマイペースな活動ではありますが、2019年もどうぞよろしくお願いいたします。

2017/08/08

僕におばあちゃんはいなかった

むかし、父方の祖母が他界したときのはなし。

祖母がなくなったのは数年前、90歳の大往生であった。
最期は病室で、付き添いの叔父さんが買い物にでたほんのちょっとの間に息を引き取ったらしい。なんとも「大きいママ」らしい最期だ。

「私はおばあちゃんじゃない。せめて大きいママと言いなさい」

何かにつけてハイカラな人だった。
お茶の先生でもあり、厳しい人だった。

葬儀は厳かに行われた。
身内だけが集まる、小さな儀式だった。
当時3歳と1歳の息子たちはまだよくわかっていないようだったが、もう8歳になる姪っ子たちには死というものが理解されているようだった。
悲しみにくれる姪の顔をみて、なるべく笑顔で接しようと思った。

その瞬間、僕は母方の祖母の葬儀のときのことを思い出した。
それは、怒りに打ち震えた思い出だ。

母方の祖母が亡くなったのは僕が中学生のころだったと思う。
母方の祖母は、みんなから「ああちゃん」と呼ばれていた。
なんでも僕が小さいころ、「おばあちゃん」とうまく言えず、「ああちゃん」と呼ぶようになって、それが定着したとのことだった。
僕はああちゃんが大好きだった。

斎場では、職員が遺族や参列したひとたちを引率する。
そのときの職員は、なぜか、ずっと笑顔であった。
そしてまるでディズニーランドのアトラクションのように、つとめて明るい声で私たちを引率した。
悲しみに暮れていた僕は激怒した。
殴ってやりたい衝動にすら駆られた。

しかし、歳をとり父となり、人の生き死についてある程度の経験を重ねてきた今、あの笑顔や朗々とした声を思い起こしても、怒りの感情は沸き起こってこない。

死とはそれほど忌み悲しむ類のものではないよ。
ましてや大往生ならば尚更だよ。

そういった考えが、悲しみに震える僕を前にして彼を笑顔ならしめたのではないか。
現に僕が姪たちの前でそうしていたように。

2017/08/04

ツアー覚書

2017年7月21日から7月23日 福岡~佐賀

21日の早朝、岩美を発つ。お昼に姪浜着。ミヤタケタカキ(以下ズル)と合流し、あまりの暑さに車の中で一緒に演奏する曲などをリハーサル。夜、福岡姪浜オオカミの口4周年記念ライブ。そして打ち上げ。よい打ち上げだった。楽しいオオカミの口の仲間たち。良い出会いもたくさんで、こういう人たちがいるならば、オオカミの口はなんだか安心だと思った(なにせ功一さん優しくて真面目で、頑張りすぎてしまうときがあるから心配なときがあって)。宴は深夜を過ぎて朝方まで続いた。

翌日はとりあえず昨晩早々に撃沈したズルが運転してくれることになって、福岡と佐賀の間で温泉に入る。そしてritmusへ。ritmusでは、先日の集中豪雨で被災した方々に何かできないかとチャリティーバザーも開催されていた。売り上げの全部を寄付するという。好みのものがたくさんあって、たくさん買った。

ritmus北島君に、クロモジというカフェに連れて行ってもらう。山の中の土地を買い、開拓してご自分で家を建てたそうで、僕の理想をすでに実現されていて(しかも十年近く前に)、本当にいいものを見せていただいたと感動し、感謝した。

夜、ライブ。初めての土地でのライブ、たくさんの方にお越しいただき、ありがたかった。

ritmusでは前田さんのガラス展も開催されていた。つまりその夜は、長野、香川、鳥取が佐賀で出会ったイベントであった。こういった、東京を介さずに地方と地方を結ぶイベントを、地方で開催するというのは、自然な流れであるだろうし、とてもいい流れであると思う。日本各地の点と点がゆったりとした線で結ばれているイメージがあって、そのイメージにはずいぶん助けられている。

ズルと、北島くんと、夜中まで語らう。恵美さんにお会いできたのが嬉しかった。
昼にritmusを後にして、岩美に帰り着いたのは深夜だった。
寝静まる家族たちにただいまを言って一人。




2017年7月28日から7月30日 金沢~松本~長野

28日、昼過ぎ、家事を済ませて岩美を発つ。目指すは学生時代の親友ファミリーが住む金沢。はじめて通る道はそれだけで楽しく、道中はあっという間である。夕方、金沢に着く。十年近くぶりに会う親友は、ずいぶんとまんまるくなっていた。あんなにシュッとしていたのに。まあお互い様か。かわいい子供たちと遊びながら、年月の隙間を埋めるように時間は過ぎて行って、朝、金沢を後にする。

昼過ぎ、長野大町の木崎湖に着く。松本にある栞日の菊池くんが企画したALPS BOOK CAMPに参加するため。去年の様子などをウェブで見ていたからよいイベントだろうことが想像できたが実際によいイベントだった。
例えば、ステージがつくられていて、それは諏訪にあるRebuilding Center Japanの東野さんが制作したということだった。今回はじめてご挨拶したが、僕はリビセンのファンで諏訪にまで足を延ばしてリビセンに行ったこともあった。ステージは素直に「あー、いいなあー、素敵だなあー。リビセンの仕事だなあー」と思うステージで、そこで歌えることは本当に喜ばしいことだった。

ステージでは、歌っている最中に、ひざ上で何かがうごめいていて、みると蝉の幼虫であった。蝉はそのままギターまでのぼり、少しの間じっとしていた。このまま羽化されても困るので、曲間、ステージを中座して幼虫をステージの後ろの木にのせてあげた。

イベントは大盛況で、雨模様だというのに、たくさんの人がABCを楽しんでいた。実は、昔から、大きいイベントはあまり得意ではない。そこにいる個々の人々が見えにくくなるからだと思う。素晴らしかったが、僕にはちょっと大きすぎたイベントだった。

それでも、何年かぶりに会うひとがいて再会を喜んだり、新しい知己を得たりした。それは純粋にうれしいことで、活力になる。

その晩は湖畔で寝て、長野入り。

長野では、ヤスミとシンカイで歌う。昼過ぎにシンカイについて、小林くんに挨拶する。初めて会ったのだが、男前でナイスガイ、スマートでおしゃれ、しかも可愛い彼女までいる。これは腹が立たない方がおかしくて、僕も同様に腹が立ち、すぐに好きになって、仲良くなった。

シンカイは店ではなく、小林くんの家である。かつては学生時代の友人と共同生活が営まれていた。ただし単なる家ではないのであって、一階を限りなくオープンなスペースとして位置付けてイベントを催したり、友達と飯を食ったりしている。

懐かしい顔を前にしたライブは、予定よりずいぶん長く歌ったが、まだまだ歌い足りない気分だった。僕はこれくらいのスペースで、じっくり歌う方が性に合っている。

深夜、ヤスミの名曲「コーヒータイム」を三人でずっと練習してた。
何時だかよくわからない頃、シンカイの二階で、就寝。

朝起きたら、小林くんが、彼が出会ったちょっとした物語と共に、コーヒーを淹れてくれた。学生時代のころ、ひょんなことから、コーヒーの淹れ方を教わった話。

小林くんは27歳であり、僕は27歳のときに風博士を始めた。当時、僕も共同生活を営んでいた。

シンカイに漂う共同生活の風を感じていたら、当時の自分の共同生活の喧騒と静寂がよみがえってきて、どうしてもここの空気を持ち帰りたくなり、小林くんに無理を言って風博士のCDと、シンカイの灰皿を交換してもらった。


2016/09/07

息を大きく吸ってとめる

よく息をとめている。
素潜りのための練習で始めたが、最近は息をとめること自体が気持ち良い。
調べると、長い息止めには疲労回復の効果があるらしい。
早朝の凛とした空気の中での息止めは気持ちよいし、確かに疲れも取れるのかもしれない。

実際の息止めをする前に、腹式呼吸をする。
小刻みに息を吸って吐くやり方と、息を吐き出した後で横隔膜を動かすやり方の二種類。
この二種類を何回か繰り返した後で息をとめる。
苦しくないように、できるだけ長く。

この一連の作業は、身体を最も感じられる瞬間だ。
僕は自然を畏敬してやまないが、もっとも身近にある自然は身体ではないか。あまりに近すぎて普段は自然であることを意識しないが、人工物でない以上、身体も自然だ。

今はまだ気持ちよく息をとめていられるのは2分半程度、無理したら3分。始めた頃から比べたらずいぶん長くなった。40歳を超えた身体でもなお、すこしづつ成長していくのがまた面白い。身体はすごい。

2016/09/01

いつも朝から何をやっているのか

いつも朝から何をやっているのかというと、録りためていた曲のネタを聴いている。2007年ごろからのものだから10年近く前か。これがかなりの量ある。データ量で言えば20Gとか。あともう少しで全部聴き終わる。無論、曲をつくるためで、そこから触発されていいメロディーや気持ち良いコードワークが生まれたりすることがある。作品をつくるときには、毎回それをやる。聴くたびに発見があって、新たな着想と、意欲が湧く。

10年近く前に録った音を聞いていると、下手くそだなーと思うこともあれば、結構カッコイイ音出してらあ、と思うこともある。自己の記録の再現というのは実は結構グロテスクなことだ。作品として世に出したものを再現する(つまり再生して聴く)のは健全だが、そうでないものは、自分でも予期せぬ音や風景が蘇ってくる。だから、今朝はふいに胸が痛くなった。

2016/08/28

だいたい海のことを考えている

だいたい海のことを考えている。
主に狩猟採集の方面から。

小さいころ、よく親父に釣りに連れて行ってもらった。魚がかかったときに竿から伝わる感触がたまらない。愛おしくなりすぎて、竿をあげたくなくなるくらいだ。糸を垂らして海風を感じながらのんびりする時間も良い。釣り好きが高じて、海に潜って魚を突くようにもなった。

今日は日曜日で仕事は休み、家族でどこかに出かけようと思っているが、海への恋心があまりに募りすぎたので、少しだけ早起きして早朝、釣りに出かけた。

夜明けまでのおよそ二時間半、手のひら大のアジが数匹釣れ、豆アジは爆釣であった。海を見ながらのんびりする時間など全くなかったが、これまた楽しく嬉しい。


瀬戸内の海は限りなく穏やかだ。
家の二階から、毎日みている。

今これを書いている横では次男がベランダに出て、静かに海をみている。
しかしどうも静かすぎると思ったら、そこで気張っていたのだった。
事を終えたのか、気まずそうな顔でこちらをみている。
これから天気が悪くなるとはいえ、今朝も瀬戸内は穏やかだ。

2016/08/26

朝早くから

このブログも、とんとご無沙汰で、活動をやめていると思われる向きもあるかもしれない。僕自身やっているのかやっていないのか、時折わからなくなることもある。しかし思えば、昔から活動と非活動の区別をなくすことが目標のひとつであったのだから、とてもいい状態と言えるのかもしれない。活動とは告知のことではなく、生き様のことだろうから。

労働、を生活の基礎に据えて2年とちょっとが過ぎた。驚くほどに、しっくりきている。かといって、ずっと続けていくつもりもない。四十を過ぎてなお夢を追う夢をみる。やはり僕は自分で道を切り拓く方が性に合っている。

忙しい月は夜寝るのも遅くなり、したがって朝も遅いが、9月はそれほど忙しくはないようだから、早起きする機会も多くなって、そうなると暇だし、こうやってブログを書く機会も多くなるかもしれない。そうありたいものだ。

そんな現状でも、声をかけてくださる方がいらっしゃるのは本当にありがたいことで、9月24日(土)には小倉の街で久しぶりに歌います。詳しくは水玉食堂さんにお問い合わせください。

水玉食堂
http://mizutamashokudo.jp/

心から楽しみにしています。