暑くなってきましたね。
みなさんお元気ですか。
風博士は元気過ぎて困ります。
暑いのに食欲がまったく落ちません。
元気過ぎるのは多分子供のせい(おかげ)でしょうか。
顔をみたら疲れてなどいられません。
ところでもうじき山口県知事選。
僕はどうしても飯田さんに勝って欲しい。
ボランティアを募集されているのですが、こんな時期に限ってやることが多くてお手伝いできないのが残念。
普段はのんべんだらりとしてるのにね。
参加できないのは残念ですが、僕は飯田さんの勝利を信じています。
さてさて、ようやくブログでも発表できる段になってきました。
今年の新作、発売日は2012年9月1日です。
こちらはお伝えしていましたが、通算6枚目となる作品のタイトルは、『声とギター』。
文字通り、声とギターだけで構成された入魂の作品です。
何年かの放浪生活を経て、満を持しての『声とギター』です。
============
風博士『声とギター』/ SUGI-1005 / ¥2,500[tax in]
ジャケット未定
[収録曲]
01.春のサンバ
02.路傍の花
03.なればこそ愛
04.人生ゲーム
05.夕暮れサンデイ
06.夜に咲く
07.なんにもない日
08.夜のカヌー
09.PALCO
10.旅路のサンバ
11.コーヒーをもう一杯
============
レコーディングは、WATER WATER CAMELの田辺玄氏とまさにがっぷりよつで行いました。声とギターだけというもっともシンプルな構成だけに、録音、演奏ともに持てる技術と感覚の粋を集めて行いました。
9月1日発売、と言っても、その日に大手のレコードショップに並ぶわけではありません。風博士の作品は、そういったところでは手に入りません。風博士作品が買えるのは、風博士の活動を応援してくれる喫茶店やショップ、公式サイトでの通信販売、あるいはライブ会場での手売り、ということになります。
(風博士の作品を取り扱ってくださるお店は随時募集中です。まずはメールで連絡ください。info@kazehakase.info)
そして、9月よりまたぞろ全国ツアーに旅立ちます。
詳細は次回!!!
2012/07/26
2012/07/08
【山口県知事選】飯田てつなり氏の講演会に行ってきた
昼間は徳山の文化ホールでやったらしいのだが所用で行けず、夕方に市街から車で30分ほど山の中の、中須というところであった講演会に行ってきた。なぜこんなところで?と思ったが、どうやら飯田さんの生まれ故郷らしい。したがって講演会は、和気あいあいと、かつ、おそらく他の会場にはない、地元独特の緊張感に包まれてはじまった。
・
講演会はたいへん勉強になった。
要約すると...
現在の体制や政策では明るい未来は見えない。180度ひっくり返す必要がある。今、世界はエネルギー革命の只中だ。その潮流に乗った、地域活性化の策がある。まずはそこからはじめよう。長州の血脈を持った山口から共に、歴史の変革を実現させましょう。
という感じ。
地域活性化の骨子は、大きく、ふたつ。ひとつめは自然エネルギーへの投機。もうひとつは、ひとの創造性を最大限に生かした地場産業の復活。
ひとつめ。エネルギーを買うためのお金や、資産運用として使われている預貯金は、結果的にほとんどが県外に流れ出てしまっている。それを、今月頭に施行された「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」などを足がかりにして、積極的に地域に投資、還元できる仕組みを作る。その際重要なのは、人に焦点をあてること。大きな設備を作ればよいというのではない。まずは、地域でおさまるような小規模なものでよい。そこで、人と人が手を取り合って、知識と経験を蓄積し、発展できるような仕組みを作る。
ふたつめはその延長。山口のとある酒造では、一升瓶を一万円で出荷する。彼らは、誇りを持って酒造りをしている。一方で、全国には、一升を100円で卸している酒蔵もある。この9900円の違いはなんだろう?それは、人の創造性に起因するのではないか。一万円の一升瓶をつくる酒造は、酒造りはもちろん、由来や瓶にいたるまで、すべてにおいて、創造力を凝らしている。これまでの施策は、モノを重視するあまり人の創造性をおざなりにしてきたのではないか。ここを転換し、人の創造性に重きを置いた経済にシフトしていく。
ひとつめは納得、ふたつめは素晴らしいが、ちょっと分かりにくかった印象。ちなみに上記はあくまで、僕の記憶と理解によるまとめです。
・
・
講演会はたいへん勉強になった。
要約すると...
現在の体制や政策では明るい未来は見えない。180度ひっくり返す必要がある。今、世界はエネルギー革命の只中だ。その潮流に乗った、地域活性化の策がある。まずはそこからはじめよう。長州の血脈を持った山口から共に、歴史の変革を実現させましょう。
という感じ。
地域活性化の骨子は、大きく、ふたつ。ひとつめは自然エネルギーへの投機。もうひとつは、ひとの創造性を最大限に生かした地場産業の復活。
ひとつめ。エネルギーを買うためのお金や、資産運用として使われている預貯金は、結果的にほとんどが県外に流れ出てしまっている。それを、今月頭に施行された「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」などを足がかりにして、積極的に地域に投資、還元できる仕組みを作る。その際重要なのは、人に焦点をあてること。大きな設備を作ればよいというのではない。まずは、地域でおさまるような小規模なものでよい。そこで、人と人が手を取り合って、知識と経験を蓄積し、発展できるような仕組みを作る。
ふたつめはその延長。山口のとある酒造では、一升瓶を一万円で出荷する。彼らは、誇りを持って酒造りをしている。一方で、全国には、一升を100円で卸している酒蔵もある。この9900円の違いはなんだろう?それは、人の創造性に起因するのではないか。一万円の一升瓶をつくる酒造は、酒造りはもちろん、由来や瓶にいたるまで、すべてにおいて、創造力を凝らしている。これまでの施策は、モノを重視するあまり人の創造性をおざなりにしてきたのではないか。ここを転換し、人の創造性に重きを置いた経済にシフトしていく。
ひとつめは納得、ふたつめは素晴らしいが、ちょっと分かりにくかった印象。ちなみに上記はあくまで、僕の記憶と理解によるまとめです。
・
飯田さんは終始おだやかで控えめで、激すような調子ではなかった。本当に大丈夫だろうか?と心配になるくらい。こんなにおとなしくては、選挙に通らないのではないか。いや、旧態依然とした方法など取りたくもないし、取って通ったとしても意味がないのだろうな。しかし通って欲しい。なんせ対抗馬は、国土交通省の官僚あがりだから。だからこそ心配なんだけど。
・
直に講演会を聞いて確信した。
僕は飯田さんに知事になっていただきたい。
・
若者は少なかった。
地元ということもあるのだろう。
年配の方が多かった。
先輩方には、飯田さんの講演はどう聴こえただろうか。
飯田さんはおっしゃられた、僕を当選させてくださいということではなく、歴史を変える一員として参加して欲しい、と。その勇気は、これからの可能性を切り開くきっかけになるはずだ、と。
決して分かりやすい講演ではなかったと思う。
目の前に利があるような話ではないから。
むしろ自分たちが居なくなった後の、続く世代のことを考えましょう、という話だった。
むしろ自分たちが居なくなった後の、続く世代のことを考えましょう、という話だった。
講演会が終わったあと、出口で生後四ヶ月半の息子を抱っこして妻を待っていた。
僕の忘れ物を彼女が取りに行ってくれたのだった。
僕の忘れ物を彼女が取りに行ってくれたのだった。
彼女を待つ間、会場から出てくる方々の、息子を見る目の優しかったこと。
その優しさこそが、今回の選挙の行方を左右するんだろうと思う。
直に講演会を聞いて確信した。
僕は飯田さんに知事になっていただきたい。
僕は飯田てつなりさんを支持します。
2012/06/23
『声とギター』の録音おわる
録音がおわった。
この瞬間のために、約半年間、気持ちと時間を費やしてきた。
構想し、創作し、練り直し、練習し、それを幾度も幾度も、咀嚼し反芻する。
大げさに書くが、時に狂喜乱舞し、時に絶望した。
己の天才ぶりに舌を巻き、己の無能ぶりに反吐を吐いた。
時間は無限に足りず、無限など時間には存在しない。
要するに自分との勝負なのだった。
そんなふうにして、録音はなされる。
世の中の録音物はそうやってつくられている。
そうあるべきだと思う。
少なくとも僕の場合はそうだ。
そう、今日ばかりは特別だ。
今までの作品、毎回そうだったが、今回はさらに特別だ。
なぜなら、今回の作品は、声とギターだけで構成されているから。
ごまかしのきかない、僕の中で、もっともシンプルな音楽表現。
ギターのこまかなタッチ、声の息づかい、そういったものがすべてパッケージされる。
そうであれば、タイトルは、これしかない。
『声とギター』。
満を持して、『声とギター』、それを可能にしたのは、旅に出て数々の出会いを経たからでもあるが、なによりも、僕には田辺玄という盟友がいたからである。それははっきり書いておかなければならない。
彼の録音技術は、ギターのタッチや息づかいは言うに及ばず、声とギターの位相、なかんずく、現場での身体のグルーヴまで再現している。
今、ラフミックスを聴きながら、録音の素晴らしさに、猛烈に感動している。
そして、実は、本番はこれからなのだと気が付き、兜の尾を締め直すんである。
みなさまの元に届けるには、これからいくつもの過程を経なければならない。
たとえば、今回のジャケットはまた、特別なんである。
それはまた別のはなし。
まあ、今日だけは、録音がおわったことに、ただただ、酔おう。
こんな夜は今日しかないのだから。
この瞬間のために、約半年間、気持ちと時間を費やしてきた。
構想し、創作し、練り直し、練習し、それを幾度も幾度も、咀嚼し反芻する。
大げさに書くが、時に狂喜乱舞し、時に絶望した。
己の天才ぶりに舌を巻き、己の無能ぶりに反吐を吐いた。
時間は無限に足りず、無限など時間には存在しない。
要するに自分との勝負なのだった。
そんなふうにして、録音はなされる。
世の中の録音物はそうやってつくられている。
そうあるべきだと思う。
少なくとも僕の場合はそうだ。
そう、今日ばかりは特別だ。
今までの作品、毎回そうだったが、今回はさらに特別だ。
なぜなら、今回の作品は、声とギターだけで構成されているから。
ごまかしのきかない、僕の中で、もっともシンプルな音楽表現。
ギターのこまかなタッチ、声の息づかい、そういったものがすべてパッケージされる。
そうであれば、タイトルは、これしかない。
『声とギター』。
満を持して、『声とギター』、それを可能にしたのは、旅に出て数々の出会いを経たからでもあるが、なによりも、僕には田辺玄という盟友がいたからである。それははっきり書いておかなければならない。
彼の録音技術は、ギターのタッチや息づかいは言うに及ばず、声とギターの位相、なかんずく、現場での身体のグルーヴまで再現している。
今、ラフミックスを聴きながら、録音の素晴らしさに、猛烈に感動している。
そして、実は、本番はこれからなのだと気が付き、兜の尾を締め直すんである。
みなさまの元に届けるには、これからいくつもの過程を経なければならない。
たとえば、今回のジャケットはまた、特別なんである。
それはまた別のはなし。
まあ、今日だけは、録音がおわったことに、ただただ、酔おう。
こんな夜は今日しかないのだから。
2012/05/28
「おれにもおっぱいがあればいいのに」子の多くが父に似るのは
創作について書こうとずっと考えていたが、創作中にそんなことを考えても無駄なんである。あ、こう書けばいいんじゃないかな、と合点がいった次の瞬間にはもうそれが陳腐なものに思えてくる。掴めたと思えば逃げている。イキのいい国産うなぎのようだ。簡単には捕まえられないし、最近では貴重なんである。まあ、創作中なのだから、当たり前なのだ。何かの最中に、それ自体を定義づけようとして滞るくらいなら、そもそもそんなことせず、続けてやっていた方がいいんである。
というわけで、今回は、おっぱいについて書く。
とは言っても、エロティックシンボルとしてのおっぱいではなく、栄養源としてのおっぱいについてである。 それも、新米とうさんたちの中でときどき呟かれる、こんなつぶやきについてだ。
「おれにもおっぱいがあればいいのに」 。
実はこれ、そう簡単に笑っちゃいけませんぜ、世の奥様方。
一般にこの発言は旦那の嫁に対しての言葉であり、一見、お前にはおっぱいがあるからそうやって泣き止ませたり、寝かしつけたりできるんだ、おれにだって、おっぱいさえあれば、それくらいできるのによ、という自虐めいた非難含みの発言に思えるが、さにあらず。
この発言の真意を得るには、父母と乳飲み子の関係を洞察しなければならない。
そもそも、男にとって、自分の子というのは本当に不思議な存在である。どんなに深い愛情を持っていたとしても、己の腹を痛めることはないから、この子が自分の子であるという実感はないのである。大体、自分の子である保証は、妻の言質と己の記憶しかないんであるから、そりゃ実感にはほど遠い。 出産に立ち合ったとしてもそれは変わらない。感動こそすれ、実感はない。そういうものだ。
つまり、最初からして、父と子の関係は間接的なものなんである。
一方母は、 産後、おっぱいあげる行為を通して、我が子との関係を更に深めていく。出産は言うにおよばず、授乳も、初期はたいへん痛いのだそうだ。身体的痛みを伴って、母と子の関係は、より直接的で純粋なものになっていく。
父はその様子を、横で見ているしかない。
自分もこうだったのか、と思うとなにやらむず痒く恥ずかしい。
そのうち、母(乳)と子の関係に嫉妬する。
しかし、嫉妬に身を任せておっぱいを奪おうとしたってそれは火を見るより明らかな負け戦である。結局のところ、父と子は、直接的な関係にはなりようがないのだ。
つまり、「おれにもおっぱいがあればよいのに」というのは、おれも、この屈託なく笑う我が子と、なんとかして直接的につながりたい、けど、どうやったってつながれないじゃないかという、深い深い、それはもう大変に深い、父の悲しみの発露なのであった。
しかし、親子とはまったくうまくできているもので、その悲しみが深ければ深いほど、子は父に似る。比例して父の愛も深くなるというものだ。そうなればこっちのもので、もう、子は、驚くくらいに可愛い。いい歳したひげ面のおっさんが顔を赤らめて、か、かわいい...と奥底から思わずもれ出てしまった声で独りごちるくらい、猛烈に可愛いのである。ここまでくれば、間接的だろうが直接的だろうがそんなことはもう関係ない。宇宙一可愛いのは我が子、ここに親ばかの誕生である。
すなわち、子の多くが父に似るのは、父におっぱいがないからなのであった。
というわけで、今回は、おっぱいについて書く。
とは言っても、エロティックシンボルとしてのおっぱいではなく、栄養源としてのおっぱいについてである。 それも、新米とうさんたちの中でときどき呟かれる、こんなつぶやきについてだ。
「おれにもおっぱいがあればいいのに」 。
実はこれ、そう簡単に笑っちゃいけませんぜ、世の奥様方。
一般にこの発言は旦那の嫁に対しての言葉であり、一見、お前にはおっぱいがあるからそうやって泣き止ませたり、寝かしつけたりできるんだ、おれにだって、おっぱいさえあれば、それくらいできるのによ、という自虐めいた非難含みの発言に思えるが、さにあらず。
この発言の真意を得るには、父母と乳飲み子の関係を洞察しなければならない。
そもそも、男にとって、自分の子というのは本当に不思議な存在である。どんなに深い愛情を持っていたとしても、己の腹を痛めることはないから、この子が自分の子であるという実感はないのである。大体、自分の子である保証は、妻の言質と己の記憶しかないんであるから、そりゃ実感にはほど遠い。 出産に立ち合ったとしてもそれは変わらない。感動こそすれ、実感はない。そういうものだ。
つまり、最初からして、父と子の関係は間接的なものなんである。
一方母は、 産後、おっぱいあげる行為を通して、我が子との関係を更に深めていく。出産は言うにおよばず、授乳も、初期はたいへん痛いのだそうだ。身体的痛みを伴って、母と子の関係は、より直接的で純粋なものになっていく。
父はその様子を、横で見ているしかない。
自分もこうだったのか、と思うとなにやらむず痒く恥ずかしい。
そのうち、母(乳)と子の関係に嫉妬する。
しかし、嫉妬に身を任せておっぱいを奪おうとしたってそれは火を見るより明らかな負け戦である。結局のところ、父と子は、直接的な関係にはなりようがないのだ。
つまり、「おれにもおっぱいがあればよいのに」というのは、おれも、この屈託なく笑う我が子と、なんとかして直接的につながりたい、けど、どうやったってつながれないじゃないかという、深い深い、それはもう大変に深い、父の悲しみの発露なのであった。
しかし、親子とはまったくうまくできているもので、その悲しみが深ければ深いほど、子は父に似る。比例して父の愛も深くなるというものだ。そうなればこっちのもので、もう、子は、驚くくらいに可愛い。いい歳したひげ面のおっさんが顔を赤らめて、か、かわいい...と奥底から思わずもれ出てしまった声で独りごちるくらい、猛烈に可愛いのである。ここまでくれば、間接的だろうが直接的だろうがそんなことはもう関係ない。宇宙一可愛いのは我が子、ここに親ばかの誕生である。
すなわち、子の多くが父に似るのは、父におっぱいがないからなのであった。
2012/04/26
10年
ゴールデンウィークを直前に控え、みなさまいかがお過ごしですか。
風博士の杉山です。
僕のゴールデンウィークは、移動とイベントで終わります。
大抵の方と一緒だということです。
昔は「ゴールデンウィークに動くなど愚の骨頂!」などとノタマワっていた私ですが、今年は動きます。主に移動ですけど。
まず、4月29日(日)に鳥取の『古本と暮らしの蚤の市』 というイベントに、古本屋として参加します。
このイベントは、鳥取老舗カフェのひとつ、cafe dropさんが主催しているパレードという10年も続いているイベントなんです。一昨年だったか、旅の道中たまたまこのパレードに居合わせて、飛び入りで歌わせてもらったこともありました。
http://www.cafedrop.com/00topic/parade.html
30日には甲府に入って、まもなく新作が出るというWATER WATER CAMELの田辺玄くんと風博士の新作についての打ち合わせ。
そのあと、5月2日(水)には、地元の千葉県浦安で、ステージがあります。
長野の友人、ガラス作家の前田一郎さんが誘ってくれました。
前田さんと親しくなったのはここ数年ですが、顔は僕が長野に出入りするようになった10年ちょっと前からよく拝見していました。
友人、と書きましたが、前田さんは僕より二まわりくらい(言い過ぎ?)先輩です。でも、そんな雰囲気はみじんも感じさせないかっこよい人です。
主催者のガラス工芸作家、前田一郎さんのサイト
http://isagoya.net/areya/
はじめての地元ライブにワクワクしています。
まだまだ席には余裕がありそうですから、予定のない関東住まいの方はぜひ遊びにいらしてください。詳細は、上記前田さんのサイトにあります。
活動10年目の僕も、日々創作活動に励んでおります。
マイホームツアー、実は終わっているのですが、嫁日記が完了していないため、ブログで高らかに報告できないでいます。まあ気長にお待ちください。
次回は創作について書いてみることにしましょう。
では。
風博士の杉山です。
僕のゴールデンウィークは、移動とイベントで終わります。
大抵の方と一緒だということです。
昔は「ゴールデンウィークに動くなど愚の骨頂!」などとノタマワっていた私ですが、今年は動きます。主に移動ですけど。
まず、4月29日(日)に鳥取の『古本と暮らしの蚤の市』 というイベントに、古本屋として参加します。
このイベントは、鳥取老舗カフェのひとつ、cafe dropさんが主催しているパレードという10年も続いているイベントなんです。一昨年だったか、旅の道中たまたまこのパレードに居合わせて、飛び入りで歌わせてもらったこともありました。
http://www.cafedrop.com/00topic/parade.html
30日には甲府に入って、まもなく新作が出るというWATER WATER CAMELの田辺玄くんと風博士の新作についての打ち合わせ。
そのあと、5月2日(水)には、地元の千葉県浦安で、ステージがあります。
長野の友人、ガラス作家の前田一郎さんが誘ってくれました。
前田さんと親しくなったのはここ数年ですが、顔は僕が長野に出入りするようになった10年ちょっと前からよく拝見していました。
友人、と書きましたが、前田さんは僕より二まわりくらい(言い過ぎ?)先輩です。でも、そんな雰囲気はみじんも感じさせないかっこよい人です。
主催者のガラス工芸作家、前田一郎さんのサイト
http://isagoya.net/areya/
はじめての地元ライブにワクワクしています。
まだまだ席には余裕がありそうですから、予定のない関東住まいの方はぜひ遊びにいらしてください。詳細は、上記前田さんのサイトにあります。
活動10年目の僕も、日々創作活動に励んでおります。
マイホームツアー、実は終わっているのですが、嫁日記が完了していないため、ブログで高らかに報告できないでいます。まあ気長にお待ちください。
次回は創作について書いてみることにしましょう。
では。
2012/04/19
国とは人
昨年の3.11の震災以降、沸々とわきあがる政治的・政策的な疑問に、少なくとも自分の中でケリをつけたいがために、様々なサイトや新聞、テレビ、雑誌などに目を通してきた。
その度に噴飯し、幻滅し、戸惑い、時にぬか喜んで、結局振り出しに戻る日々。
もちろん、未だに分からないことだらけ、憤懣やるかたなく過ごす毎日ではあるが、氾濫する情報の中で、ひとつだけ、気になっていることがある。それは、批判的なサイトや記事によくみられる、「国が悪い」とする言い方だ。
漫画のワンピースに出てきたアラバスタ国王の台詞ではないが、国とは人であろう。
したがって、そういう言い方をするならば、悪いのは国ではなく、政府や官僚のはずだ。
決して瑣末なことではない。
国とはつまるところ、私たちのことなのだから。
そう思うと何やら少しだけ、力が湧いて来ないか?
だから、いつのまにやら、生レバー禁止とか言われても困るのだ。
政府、官僚に、そんなことを決めてよいと言った覚えはない。
震災復興や原発再稼働、がれき処理や除染、避難区域設定については何をか言わんや。
残念ながら、かのネフェルタリ・コブラのような侠気を、希望を、この一年間で感じたことはない(唯一、管直人前首相の脱原発宣言は感動した)。
そうやってまた、振り出しに戻る。
胸の奥に何かが詰まったような感じは、取れない。
そのしこりは、これからも子供をつくって育んでいってよいのかどうか、不安になるような固さだ。
そんな気持ちを、たくさん子供の欲しい親に起こしてしまうようなことでは駄目だろうに。
本当に駄目だろうに。。。
その度に噴飯し、幻滅し、戸惑い、時にぬか喜んで、結局振り出しに戻る日々。
もちろん、未だに分からないことだらけ、憤懣やるかたなく過ごす毎日ではあるが、氾濫する情報の中で、ひとつだけ、気になっていることがある。それは、批判的なサイトや記事によくみられる、「国が悪い」とする言い方だ。
漫画のワンピースに出てきたアラバスタ国王の台詞ではないが、国とは人であろう。
したがって、そういう言い方をするならば、悪いのは国ではなく、政府や官僚のはずだ。
決して瑣末なことではない。
国とはつまるところ、私たちのことなのだから。
そう思うと何やら少しだけ、力が湧いて来ないか?
だから、いつのまにやら、生レバー禁止とか言われても困るのだ。
政府、官僚に、そんなことを決めてよいと言った覚えはない。
震災復興や原発再稼働、がれき処理や除染、避難区域設定については何をか言わんや。
残念ながら、かのネフェルタリ・コブラのような侠気を、希望を、この一年間で感じたことはない(唯一、管直人前首相の脱原発宣言は感動した)。
そうやってまた、振り出しに戻る。
胸の奥に何かが詰まったような感じは、取れない。
そのしこりは、これからも子供をつくって育んでいってよいのかどうか、不安になるような固さだ。
そんな気持ちを、たくさん子供の欲しい親に起こしてしまうようなことでは駄目だろうに。
本当に駄目だろうに。。。
2012/04/12
マイホームツアー 嫁日記2011年11月前半
嫁日記の時間です。
マイホームツアーもいよいよ終盤となった11月は、九州をズバッと縦断しました。
ちなみに、この絵日記は、嫁がその日で印象に残ったことを書いているそうですが、一番印象に残っていることを書いている、というわけでもないようです。思いつきらしい。
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