2017/08/08

僕におばあちゃんはいなかった

むかし、父方の祖母が他界したときのはなし。

祖母がなくなったのは数年前、90歳の大往生であった。
最期は病室で、付き添いの叔父さんが買い物にでたほんのちょっとの間に息を引き取ったらしい。なんとも「大きいママ」らしい最期だ。

「私はおばあちゃんじゃない。せめて大きいママと言いなさい」

何かにつけてハイカラな人だった。
お茶の先生でもあり、厳しい人だった。

葬儀は厳かに行われた。
身内だけが集まる、小さな儀式だった。
当時3歳と1歳の息子たちはまだよくわかっていないようだったが、もう8歳になる姪っ子たちには死というものが理解されているようだった。
悲しみにくれる姪の顔をみて、なるべく笑顔で接しようと思った。

その瞬間、僕は母方の祖母の葬儀のときのことを思い出した。
それは、怒りに打ち震えた思い出だ。

母方の祖母が亡くなったのは僕が中学生のころだったと思う。
母方の祖母は、みんなから「ああちゃん」と呼ばれていた。
なんでも僕が小さいころ、「おばあちゃん」とうまく言えず、「ああちゃん」と呼ぶようになって、それが定着したとのことだった。
僕はああちゃんが大好きだった。

斎場では、職員が遺族や参列したひとたちを引率する。
そのときの職員は、なぜか、ずっと笑顔であった。
そしてまるでディズニーランドのアトラクションのように、つとめて明るい声で私たちを引率した。
悲しみに暮れていた僕は激怒した。
殴ってやりたい衝動にすら駆られた。

しかし、歳をとり父となり、人の生き死についてある程度の経験を重ねてきた今、あの笑顔や朗々とした声を思い起こしても、怒りの感情は沸き起こってこない。

死とはそれほど忌み悲しむ類のものではないよ。
ましてや大往生ならば尚更だよ。

そういった考えが、悲しみに震える僕を前にして彼を笑顔ならしめたのではないか。
現に僕が姪たちの前でそうしていたように。

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