2016/09/07

息を大きく吸ってとめる

よく息をとめている。
素潜りのための練習で始めたが、最近は息をとめること自体が気持ち良い。
調べると、長い息止めには疲労回復の効果があるらしい。
早朝の凛とした空気の中での息止めは気持ちよいし、確かに疲れも取れるのかもしれない。

実際の息止めをする前に、腹式呼吸をする。
小刻みに息を吸って吐くやり方と、息を吐き出した後で横隔膜を動かすやり方の二種類。
この二種類を何回か繰り返した後で息をとめる。
苦しくないように、できるだけ長く。

この一連の作業は、身体を最も感じられる瞬間だ。
僕は自然を畏敬してやまないが、もっとも身近にある自然は身体ではないか。あまりに近すぎて普段は自然であることを意識しないが、人工物でない以上、身体も自然だ。

今はまだ気持ちよく息をとめていられるのは2分半程度、無理したら3分。始めた頃から比べたらずいぶん長くなった。40歳を超えた身体でもなお、すこしづつ成長していくのがまた面白い。身体はすごい。

2016/09/01

いつも朝から何をやっているのか

いつも朝から何をやっているのかというと、録りためていた曲のネタを聴いている。2007年ごろからのものだから10年近く前か。これがかなりの量ある。データ量で言えば20Gとか。あともう少しで全部聴き終わる。無論、曲をつくるためで、そこから触発されていいメロディーや気持ち良いコードワークが生まれたりすることがある。作品をつくるときには、毎回それをやる。聴くたびに発見があって、新たな着想と、意欲が湧く。

10年近く前に録った音を聞いていると、下手くそだなーと思うこともあれば、結構カッコイイ音出してらあ、と思うこともある。自己の記録の再現というのは実は結構グロテスクなことだ。作品として世に出したものを再現する(つまり再生して聴く)のは健全だが、そうでないものは、自分でも予期せぬ音や風景が蘇ってくる。だから、今朝はふいに胸が痛くなった。

2016/08/28

だいたい海のことを考えている

だいたい海のことを考えている。
主に狩猟採集の方面から。

小さいころ、よく親父に釣りに連れて行ってもらった。魚がかかったときに竿から伝わる感触がたまらない。愛おしくなりすぎて、竿をあげたくなくなるくらいだ。糸を垂らして海風を感じながらのんびりする時間も良い。釣り好きが高じて、海に潜って魚を突くようにもなった。

今日は日曜日で仕事は休み、家族でどこかに出かけようと思っているが、海への恋心があまりに募りすぎたので、少しだけ早起きして早朝、釣りに出かけた。

夜明けまでのおよそ二時間半、手のひら大のアジが数匹釣れ、豆アジは爆釣であった。海を見ながらのんびりする時間など全くなかったが、これまた楽しく嬉しい。


瀬戸内の海は限りなく穏やかだ。
家の二階から、毎日みている。

今これを書いている横では次男がベランダに出て、静かに海をみている。
しかしどうも静かすぎると思ったら、そこで気張っていたのだった。
事を終えたのか、気まずそうな顔でこちらをみている。
これから天気が悪くなるとはいえ、今朝も瀬戸内は穏やかだ。

2016/08/26

朝早くから

このブログも、とんとご無沙汰で、活動をやめていると思われる向きもあるかもしれない。僕自身やっているのかやっていないのか、時折わからなくなることもある。しかし思えば、昔から活動と非活動の区別をなくすことが目標のひとつであったのだから、とてもいい状態と言えるのかもしれない。活動とは告知のことではなく、生き様のことだろうから。

労働、を生活の基礎に据えて2年とちょっとが過ぎた。驚くほどに、しっくりきている。かといって、ずっと続けていくつもりもない。四十を過ぎてなお夢を追う夢をみる。やはり僕は自分で道を切り拓く方が性に合っている。

忙しい月は夜寝るのも遅くなり、したがって朝も遅いが、9月はそれほど忙しくはないようだから、早起きする機会も多くなって、そうなると暇だし、こうやってブログを書く機会も多くなるかもしれない。そうありたいものだ。

そんな現状でも、声をかけてくださる方がいらっしゃるのは本当にありがたいことで、9月24日(土)には小倉の街で久しぶりに歌います。詳しくは水玉食堂さんにお問い合わせください。

水玉食堂
http://mizutamashokudo.jp/

心から楽しみにしています。

2016/04/22

プリンスが亡くなった

我が家の第一メディアはラジオである。今朝はまだ未明の布団の中、妻の声で起こされた。「プリンスが亡くなったってよ。ラジオでそう言ってる」。寝ぼけ眼に浮かんできたのは、学生時代からの心服の友、Mのヒゲ面であった。

プリンスには特別深い思い入れがある。今年の初めに亡くなったデビット・ボウイより、もっと言えば何年か前に亡くなったマイケル・ジャクソンより。それは、20代を共に過ごした前述のMの影響であった。

Mは生粋のプリンスフリークで、当時スノッブな学生だった私は、Mがプリンス好きだと知って、なんでえプリンスなんか、ただの人気歌手じゃないかと鼻息が荒かった(本当に鼻持ちならない...)。

学生時代を共に過ごしたMとは、その後、共に会社を起こすことになる。その会社では作業中にBGMをかけることが推奨され、MがかけるBGMは大抵がプリンスであった。

鼻持ちならないスノッブ学生だった私も、およそ10年間の会社生活の中で、「なんだよまたプリンスかよ」「へーこんな曲もあるの」「これ悪くないな」「なかなかいいね」「や、いい曲だな」「今日は1999をかけてくれ」「GoldExperienceは名盤だ」と変遷していった。

今宵は追悼とばかりに久しぶりにプリンスの曲を聴いた。なかなか泣き止まない生後二ヶ月足らずの三男坊を抱きながら。Mのヒゲ面を思い出して、初めはしんみりした気分でいたが、そこはプリンスの曲、勝手に身体が踊りだす。膝の上ではいつの間にやら泣き止んだ三男坊が、リズムに合わせて、うとうとしていた。