2012/02/16

36歳、免許がない!その5

免許取得のためのアドバイス

■合宿か、それとも通学か
通学だと、時間は選べるが期間と費用がかかる。合宿だと、短期間ゆえハードだが、割安である。だから、二週間の休みが取れるならば、間違いなく合宿をオススメする。

合宿に参加するには、本籍地以外の教習所でなければならない。原則ホテル住まいになるわけだ。できれば、縁故のある地方での合宿に参加するのが望ましい。気のおけない友人親類がいるならばベストだ。二週間、ホテルで過ごすことになるから、なにかと入り用なことも多く、その場合は、友人親類を頼ることができる。

もちろん、知り合いの誰もいない土地に、単独で合宿に行っても構わない。僕の幼馴染みの一人は、合宿先で知り合った女性と結婚し、幸せな家庭を築いている。そういうこともあるんである。

ちなみに、合宿への参加はいつでも良いわけではなく、教習所が指定した日に入校となる。そこから二週間、止むことのない免許取得のためのプロセスが始まるわけだ。

以下からのアドバイスは、合宿での免許取得に限る。


■ノートパソコンを持っていく
合宿の場合、参加してから一週間ほど経った頃にある「仮免許取得」までが山である。僕のように、なんの前知識もなく合宿に参加した者がもっとも苦労するのは、「仮免許取得」のために受ける学科試験だ。これは「効果測定」と呼ばれている。この「効果測定」は、50問中45問以上正解しなければ不合格となる。これと、技能試験に合格して晴れて「仮免許取得」となるのだが、これはだいたい同日に行われるため、体力的にも、精神的にも厳しい。

勉強方法は色々あるだろうが、なによりも、問題を解きまくる、これが一番。それには、今の時点でインターネットに勝るものはないだろう。質はサイト運営者を信用するしかないが、量も多いし、なにより無料で利用できる。数多の効果測定サイトがあるが、一番お世話になったのはここ。

インターネット自動車教習所
http://menkyo119.com/

問題の質、量、そしてサイト自体の作り込み共に素晴らしい。試験方法も直感的で面白い。履歴が残るのもありがたい。仮免許時の効果測定、地元に帰って受ける学科試験、共に一発で合格したのはこのサイトのおかげである。

したがって、合宿には、ノートパソコンを持って行くとよい。今日日、大概のホテルではLANが使えるようになっている。

教習所での授業が終わり、ホテルに戻ったら、ひたすら問題を解きまくるのである。間違えれば復習し、曖昧なら復習するのである。そしてまた問題を解くのだ。疲れて果てるまで、それを繰り返すのである。


■お気に入りを持ち込む
とは言っても、二週間という期間、ときには息抜きも必要である。ホテルの部屋も、原則二週間お世話になるわけだから、自分の空間だと思った方がよい。僕は、コーヒーが好きなので、ミルとポット、お気に入りの豆を部屋に持ち込んで、朝の一杯と夜の一杯をゆっくりと時間をかけて淹れていた。今思えば、このたかだか15分がとても貴重でよい時間であった。


■お気に入りの店をつくる
大抵の合宿は、三食ついているだろう。僕もそうだったのだが、何日目かでホテルの食事に飽きて来た。そんなときは外食だ。不案内な土地でお気に入りの店をみつけるは難しいかもしれないが、トライしてみよう。僕の場合は、たまたまなのだが、鳥取市で最愛のカレー屋「かるだもん」で長年腕を磨いた人が、ホテルのすぐ近くで「moona」というカレー屋を営んでいた。「moona」のカレーは「かるだもん」の味を引き継ぎつつ、独自の色を乗せたカレーで、実に美味しく、大変お世話になった。そこで交わされる店主との何気ない会話すら、合宿という特殊な期間では、すばらしい気分転換となったのであった。


■薄底の靴がよい
車のアクセルは、意外と微妙で、軽く足を乗せただけでも結構効く。僕は最初、比較的靴底の厚いメレルのシューズを履いていた。
これ↓



これだと、アクセルの感触が分かりにくい。慣れないうちはアクセルが微妙すぎて自分がどこまで踏み込んでいるのか、よく分からないのだ。なので、少しでも靴底の薄い靴に履き替えた方が運転しやすい。

で、買った靴がこれ。

その名も、「親方寅さん」。
そう、作業用の靴である。
これに替えたら、アクセルの踏み具合が実に良く分かった。

格好は悪いが、免許が必要な36歳には、大した問題ではないのである。
地方の靴屋さんなら、どこに行っても大抵1,000円くらいで売っている。


■教習車にも性格がある
これは運転に少し慣れてきたらの話で、しかもマニュアル車限定なのだが、教習車によって、クラッチの効きが違うことがある。二時間続けて実習がある場合、さっきの教習車ではこの辺で半クラうまく行ってたのに、今度はエンストしちゃったよ、なんてことがある。車の運転に慣れて来た今なら当たり前だが(自動車のクラッチは消耗品である)、当初はなぜだかよくわからなかった。

毎日送り迎えしてくれるバスの運転手さんと世間話をしていて、教習車でも性格というか、違いがあるんじゃないんですか?と話したら、お、君そこに気が付くとはやるじゃないですか、そうなんですよ、実は車によってクラッチは全然違うんですよ、と教えてくれた。



最後に、お世話になった自動車教習所のサイトをあげておきます。

東部自動車学校(鳥取県)

安心して通える、とてもよい学校でした。
みなさんも鳥取で免許とったらいいんだよ。

というわけで、これにて「36歳、免許がない!」はこれにて完了。
ありがとうございました。

2012/02/14

京都にて、古本フェスに参加します

毎日雪と格闘してます。
今日は除雪機で参道の雪を払いました。
おかげでぐったり、しかし心地よい。

さて、今週末より、京都で行われる古本フェスに参加します。
参加といっても、僕自身は行けないので、本だけの参加ですが。


2012年2月17日(金)~26日(日)


時間:12時~20時(会期中無休)
会場:マンガ・古本カフェ・トリペル地図
URL:http://tripel.blog2.fc2.com/
(〒602-0019 京都市上京区下木下町183-6)







会期中は、第1部と第2部に分かれていて、僕は第1部(17日〜21日)の方に参加します。
本好きな方もそうでない方も、ぜひとも会場に足を運んでみてください。

2012/02/12

36歳、免許がない!その4

最初の授業で、指導員の先生がこう言った。

「これから普通免許を取得しようとしている皆さんには奇異に聴こえるかもしれませんが、本来、車は、運転してはならないんです。なぜだか分かりますか?」

指導員の先生は少し間をおいて、生徒の反応を確認するように、教室を見渡した。

年の功というやつだろうか、僕にはその理由がすぐ分かった。
なぜなら、車は危ないからである。

そう思っていたら、案の定こう言われた、「なぜなら、車は危険だからです」。

「危険であるからこそ、免許という制度でもって、厳しい試験に合格した人だけが車を運転することができるのです。それには、車の運転技術はもとより、一般常識や社会の理解、他人に対する思いやりといったことが、必要不可欠なのです」

うーん、なるほどー、と唸る36歳(ぽつんと)であった。



そんな感じで、妙に感心した僕は、スイッチが入り、熱心に授業を受け、車の操作方法も懸命になって覚えようとした。

そうやって初日を終え、ホテルに帰ったらもう夜だった。
くたくただった。

それからも、毎日ずっとそんな感じ。

朝起きて学校に行き、授業を受け、車に乗り、時間が空けば自習し模擬試験を受け、夜ホテルに戻れば時間を惜しんで試験勉強に勤しんだ。

ふと思う、こんなに熱心に学校に行って勉強してるのって、生まれて初めてのことじゃないだろうか。

まあ、そうでもしなければ、ストレートでの免許取得など到底無理だと悟ったのだった。
36歳は必死だったのだった。。。




ところで、合宿に入って二日目から、twitterで、一日一回、合宿ツイートをしていた。
なんとなく雰囲気が伝わると思うので、ここに転載します。


「合宿二日目、大人の階段登ってる。」


「合宿三日目、嫁のすごさを実感する。」


「合宿四日目。言ってもいいですか。年とったなあ、おれ……」


「合宿五日目、すべての運転者をリスペクトするに至る。」


「合宿六日目。あーギター弾きたい。」


「合宿七日目、細か過ぎて伝わらない指導。」


「合宿八日目、明日、第一段階修了検定試験、余裕は全くなし。」


「合宿九日目、試験無事合格し、仮免ゲット!やー、嬉しいな。しかし気を抜く間もないまま、今日からもうガンガン授業入ってる…」


「合宿十日目、はぁ~肩が凝る…」


「合宿十一日目。路上に必死。だが楽しい。」


「合宿十二日目。社会に参画していく感じがする。」


「合宿十三日目、ぼた雪の夜の路上教習はちときちい。」


「合宿十四日目、すべての教習が終わる。清々しい。明日、いよいよ、みきわめの後、卒業検定。」


「合宿十五日目、最終日、合格したぞ!いやー、つかれた~。」


合宿ツイートにはたくさんリプライ(返信)を頂いて、もう本当に励みになりました。
へとへとになって、へこみそうになったら、リプライを見ていました。
ほんとうにどうもありがとう。



そんなわけで、明日はなんてつぶやこうかと考えていたら、15日間はあっという間だった。
無事、何ごともなく、仮免も検定試験もつまずくことなく合格し、免許取得できたのであった。




さて、次回の最終回は、免許をいまだ持っていない人に向けて、免許取得のためのポイントを紹介します(あくまでオレ目線ですが)。

2012/02/10

嫁日記 2011年10月後半

嫁日記の時間です。

10月後半は四国から九州にわたりました。
その間、妊婦検診などがあったりして、嫁は単身鳥取に帰ったりとなかなか慌ただしかった。
ちなみに、高知で衝撃的に旨いカツオを食べたあと、嫁は気分悪くなってました。
生ものはNGだったみたい。

そんなこんなで10月後半もいろんなことがあったなあ。



































2012/02/09

36歳、免許がない!その3


いよいよ合宿スタートの日。


僕は教習所の入校説明室というところにいた。
明らかに18、9歳の青年たちに囲まれて。
彼らは同じ学校の仲間内なのだろう。
高校生らしくふざけあって、溌剌とした笑い声で賑やかだった。
他にも何人か若者がおり、部屋の中には全部で12〜3人くらいだったろうか。
彼・彼女たちは、今日が入校、言わば同期である。
しかしもちろん、年齢筆頭は、誰がどうみたって、僕なのであった。

分かってはいたものの、最初に思ったのは、「まいったなあ。。。」であった。
明らかに浮いているんである。
仕方なしに、僕はノートを取り出し、敬愛する種田山頭火よろしく、自由律俳句を一句詠んでみた。

「ぽつんと36歳」

うむ、なかなかの句ではないか、なにより今のオレの心情が余す所なく表現されている。句としてもうまいこと、ぽつんと感が出ているなあ、などと悦に浸り、まあ、流石にそこそこ齢を重ねていることもあって、己の目的(免許取得)を思い出し、気が付けばいつの間にやら始まっていた入校説明に耳を傾けた。

いろいろと合宿に関する注意事項が述べられ、最後に、今後の予定表が配られた。
僕はそれを見て目をひんむいた。
一週間後にあるという仮免許試験まで、朝から晩まで、授業と実習で埋め尽くされていたのであった。

なんだこれは?
合宿とはこんなにハードなものなのか?

合宿という制度の肝は、短期間、というところにある。
短期間で多くの生徒を送り出すことで、初めて安い値段で提供できるわけだ。
だから、カリキュラムはぎりぎりまで詰め込んであるのである。

「およそ一週間後に、仮免許試験がありまして、技能検定と学科試験があります。そこで不合格ならば、居残りになってしまいますので、みなさん頑張ってください」

居残りとは要するに、卒業が延びるということである。
それは同時に、それだけ費用が上乗せされるということを意味している。
しがないミュージシャンとしては、それだけはなんとしても避けなくてはならない事態だった。

そして、指導員の方はおっしゃった。
「今日から車に乗ってもらいます」

そして怒濤の合宿生活が始まった。。。

2012/02/07

36歳、免許がない!その2

まずは、教習所選びである。


はじめから、「合宿」と呼ばれるスタイルで免許を取ろうと思っていた。
きけば、「合宿」は教習所に通いで行くよりも短期間で、しかも安価に免許が取れるらしい。
こちとらしがないミュージシャンである、稼ぎは少ない。
それに、ややこも2月末には出てきてしまうから、それほど時間的余裕はない。


普段ならば、安かろう悪かろうだし、のんびりと取得に励みたいものだが、背に腹は変えられぬ、取ってしまえば同じ事、それに、しがないミュージシャンであるからこそ、まとめて通うことも可能なのだ。それで「合宿」にて取得、と相成った。


ではどこに行くか、となるが、これはやはり鳥取がよかろう。
四国香川でお世話になっている友人が、自宅近くの教習所を勧めてくれたが、奥さんが出産したばかりでなにかと忙しい時、なにかとお世話にならなければならないようなこともあるだろうし、遠慮したのだった。


「合宿」の場合、その教習所に本籍がある場合は受け付けられないらしい。あくまで県外のひと対象なのである(これは後々理由がわかる)。


鳥取は妻の地元だが、僕も妻も、本籍地は千葉の浦安になっている。だから合宿に参加することはなんら問題ないはず。市内には三カ所の教習所があり、どこも「合宿」を開催していたが、せっかくなので、妻がかつて卒業したという「鳥取東部自動車学校」に通うことに決めた。


となれば、敵情視察、ではないが、入学前に一度東部自動車学校に行ってみることにした。


そこで、受付のお姉さんに「合宿」について聞いてみると、マニュアル車(以降:MT車)の場合、入学から卒業までの期間は15日間で、その間の宿泊ホテル、朝昼晩の食事はすべて込みで、22万円ということだった。しかも、僕の場合は千葉からの入学となるので、行き帰りの交通費が1万円づつ、計2万円支給されるとこのこと、したがって実質20万円だった。


この安さには驚いた。
通いならば、少なくとも年齢分はかかると方々で脅されいたのであるから。
ただし、その時もらったパンフレットには、こんな注意書きがあった。
「22万円保証は30歳まで」。


要するに、31歳以上の人は、仮免試験・仮学科試験とやらに落ちてしまったら、予定が延びるので、その後の宿泊食事はすべて自腹でいかなければならない、とのこと。


実は、16歳のとき、原付の免許を取得したことがあった。

その時は全く勉強せず、教習所がやっている早朝の講習だけ受けて試験に挑んだが、見事合格であった。技能講習の方は、千葉には珍しい大雪で、まあ今回はしょうがないから各自やってください、ということになり免許をもらった。

そのときの感覚があり、仮免試験というのがなんのことかは全く分からなかったが、まあ、なんとかなるだろう、楽勝さ、と思っていた。


そう、正直、高をくくっていたのである。

全く、なめていたんである。。。


2012/02/05

36歳、免許がない!その1

♪車を捨てて〜 車を捨てて〜

と歌っていたのは他でもない、この僕だった。
(グッとくるージング)

2011年度、4611人の方が交通事故で亡くなっている。
しかもこれは事故後24時間以内の死亡のみがカウントされているので、実際にはもうちょっと多いだろう。

僕が「♪車を捨てて〜」と歌ったのは、なんとなく語呂がいいとかそんなことでなく、確たる想いがあった。車は危ないんである。鉄のかたまりのようなものが猛スピードで人の横を通って行く。危なくないわけがないんである。当時、僕は30%くらい本気で、車などなくなってしまえばよいのに、とうそぶいていた。

そういえば36年間、免許の必要性に迫られた事はなかった。

公共交通機関が発達している都市部では、どこへ行くにもそれほど車を必要としない。
育ったのは千葉の浦安だったし、二十代の青春を謳歌したのは京都だ。
どちらもまあ、車なしで生活できる程度の都市部だろう。
そういう所だと、逆に車を持っているデメリットの方が大きいくらいなんである。
燃料、駐車場代、車検代、税金、と持ってるだけで金を食うからだ。


風博士の活動を本格化してからも、免許の必要性は感じなかった。
風まかせツアーのときは基本的に電車とバスと歩きで移動していたし、マイホームツアーのときは頼もしきかな、妻がハンドルを握ってくれた。

しかし、マイホームツアーも終わり、妻も臨月を迎え、お腹が前にせり出して、運転が難しくなってきたようだった。実際、ややこが産まれたらもっと難しいだろう。また、先の事を考えても、僕たちの住む場所は、十中八九都市部ではなく田舎であろうから、便不便を踏まえれば、いつまでも妻にだけハンドルを握らせておくわけにはいかない。

そう、ここにきて、生まれて初めて、運転免許の必要性を感じたのであった。


そして、36歳の免許取得プロジェクトが立ち上がったのであった。。。